LOGINそれから始まった蜜月の日々を、サラリアはほとんどラーシュの傍で過ごした。
朝、目を覚ませば隣にはラーシュがいる。
食事をしている時も。
庭を散歩している時も。
本を読んでいる時も。
気づけばラーシュの腕が伸びてきて、当然のように抱き寄せられていた。
竜族は人間より体温が高い。
ラーシュに抱き締められるたび、ぽかぽかとした温もりに包まれた。
それが不思議と心地よかった。
物心ついた頃から孤独だったサラリアにとって、自分の帰る場所が誰かの腕の中にあるという感覚は初めてだった。
もちろん困ることもあった。
ラーシュはとにかくサラリアと離れたがらない。
本を読んでいれば肩へ寄りかかってくる。
食事中も手を離さない。
少し姿が見えなくなるだけで探しに来る。
最初は戸惑った。
けれど次第に、それが当たり前になっていった。
誰かに必要とされること。
誰かが自分を探してくれること。
それがこんなにも嬉しいものだと、サラリアは知らなかった。
ある日、ラーシュが言った。
「何か望みはないか?」
サラリアは少し考えた。
欲しいものなど思いつかなかった。
けれど、ふと口から出た。
「読書がしたい」
ラーシュは意外そうな顔をした。
「そんなことでいいのか?」
「私にとっては大事なことなの」
すると翌日。
宮殿の一室が丸ごと図書室へ変わっていた。
天井まで届く本棚。
びっしり並ぶ書物。
古い巻物。
竜族の歴史書。
神話。
地上の物語。
服飾や工芸の本まで揃っている。
サラリアは夢中になった。
そしてラーシュは、そんなサラリアを見て嬉しそうに笑った。
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だが数日後。
ラーシュは不満そうな顔をするようになった。
本を読んでいると隣へ来る。
肩へ寄りかかる。
膝へ頭を乗せる。
ページをめくる指を握る。
「……ラーシュ、読めない」
「本ばかり見ている」
「読書していいって言ったじゃない」
「ここまで夢中になるとは思わなかった」
本気で拗ねている。
その姿があまりにも子どもっぽくて、サラリアは思わず吹き出した。
普段のラーシュは近寄りがたい。
使用人の前では無表情。
美しすぎるがゆえに威圧感すらある。
けれどサラリアの前では違った。
拗ねる。
甘える。
嫉妬する。
時には本気で張り合おうとする。
見た目は完璧なのに、どこか不器用だった。
ある日。
サラリアは笑いながら言った。
「ラーシュって意外とよく笑うのね」
ラーシュは少し驚いた顔をした。
そして静かに目を細める。
「そうか?」
「ええ」
以前のラーシュを知らない。
それでも今の彼はよく笑うと思った。
するとラーシュは少しだけ考えるような顔をしてから言った。
「サラがよく笑っているからだ」
サラリアは瞬きをした。
予想していなかった答えだった。
「私が?」
「そうだ」
ラーシュは当然のように頷く。
「サラが笑うと嬉しい」
だから自分も笑う。
そう言った。
あまりにも真っ直ぐな言葉だった。
サラリアは戸惑う。
地上では笑っていた。
けれどそれは仮面だった。
生き残るための笑顔。
誰かを安心させるための笑顔。
本当に楽しくて笑った記憶は少ない。
それなのに。
空を飛ぶ竜を見て笑う。
ラーシュの拗ねた顔に笑う。
本を読みながら笑う。
そんな自分がいつの間にか当たり前になっていた。
ラーシュはそっとサラリアの頬へ触れる。
「俺もだ」
短い言葉だった。
けれど、その声音はどこまでも優しかった。
まるで長い孤独を溶かしていくように。
サラリアはその手に自分の手を重ねた。
何気ない時間だった。
特別な出来事など何もない。
けれど。
人生で一番幸せな時間だった。
◇◇◇
今になって思う。
あの頃の自分は幸せだったのだと。
誰かに愛されること。
誰かと笑い合うこと。
誰かの帰りを待つこと。
そんな当たり前の幸せを、サラリアは初めて知った。
だからだろう。
失った時の痛みが、あれほど大きかったのは。
窓の外へ視線を向ける。
今見えている景色は、あの頃と同じ空だった。
同じドラコニア。
同じ青空。
それなのに何もかも違う。
ラーシュがいた頃は世界が色づいて見えた。
けれど今は違う。
サラリアは静かに目を閉じる。
思い出すのは最後に見たラーシュの顔。
そして―――
全てが壊れた、あの日のことだった。
――私は、王竜様になんてことを……。全身重度の火傷を負ったものの、ガイゼルは翌日には目を覚ました。目を覚ましたが、全身全霊で落ち込んでいた。二週間くらいウジウジしたあと、ガイゼルは後継ぎの座をオーレリウスに譲ると言い出した。シーラにあっさり騙された。貴族社会でやっていく自信はない。髪も焼けて坊主になったから丁度いい。そう言って、規律の最も厳しい神殿に突撃していった。もちろんオーレリウスは止めた。ガイゼルは確かに騙されやすいかもしれないが、その愚直さこそウィンドスケイル。裏がないからこそ王家は忠臣と認めてきた。ガイゼルのほうが公爵に相応しい。オーレリウスは説得を続けたが。――剣を向ける先を間違えた私を陛下は二度と信じない。――それなら陛下のお傍に立てるウィンドスケイルはお前だけだ。その真っ直ぐな言葉に、それ以上何も言えなかった。家督を弟に譲ることも。貴族でなくなることも。ガイゼルにとっては、竜王と王竜という存在を前にしたら『そんなこと』だった。あのとき、オーレリウスは兄ガイゼルの信念を見た気がした。.神殿で修行したガイゼルは強くなった。それまでは次期公爵として教養や礼節を学ぶ必要があった。その時間と体力を鍛錬にガイゼルは全振り。その環境がとてもあっていたのだろう、ガイゼルはとても強くなった。――俺が考えると碌なことがなさそうだ。――考えることはお前に任せた。脳筋丸出しの発言にオーレリウスは呆れたが、それこそウィンドスケイル。ウィンドスケイルらしくなく腹芸が得意なオーレリウス。適材適所と割り切って、「分かった」と答えた。◇◇◇「サラリア様はなぜあの兄をご指名で?」「深読みする必要がなさそうで楽だから、らしい」(なんか分
「オーレリウス、カフェの島に常駐させる護衛の件で話がある」ラーシュの言葉にオーレリウスは頷く。顔には出さなかったが、『ようやくか』と呆れていた。.ドラコニアはいくつもの浮島から作られている国。名前のついている島もあるが、サラリアたちが暮らす島は、それまで無人島だったため名前がない。そのため『カフェの島』と呼ばれている。三日前、そのカフェの島に泥棒が入った。泥棒を感知したのは、カフェの島を縄張りにしている王竜トール。――夜中に誰か知らない人が来たっぽい。翌朝、眠そうな顔でトールがそう母サラリアに報告したことがことの始まり。――夢かなあ。ドラコニアを繁栄させる王竜という存在だけど、いまはまだ幼児。夜きちんと寝ることが大事。下手に警戒して夜眠れなくなってはいけない。そう判断したサラリアは、トールには夢ということにした。そして、すぐに被害の確認をした。被害はあった。外に干してあったトールのパンツが盗まれていた。なぜ夜に干していたのか。オーレリウスの質問に、「おねしょ」の一言でサラリアは説明を終えた。犯人は見つかっていないが。(犯人はおそらく、トール様のファンだが数が多い)犯人は見つけたいが、現実問題、パンツ一枚を探すことは難しい。サラリアも「大した害ではない」で済ませようとしているし、サラリアがそれならばとラーシュも納得していた。(サラリア様の下着だったらどうなっていたことか……いや、トール様のパンツならいいという話でもないのだが)そんなことがあって、カフェの島に護衛騎士を常駐させる案が出た。カフェの島周辺も含め、騎士たちは厳重に警備している。しかし、島に侵入されてしまえば、あとは無防備だ。そのため、任命される護衛騎士はカフェを中心に島内部を警備することになる。(つまり
「サラリア様。この生ごみに埋めて土に栄養を与える方法を、主人に教えてもよろしいですか?」「ご主人に?」リス族の獣人である彼女は、伯爵位にある竜族の番だった。「伯爵家の領地は昔から野菜の生産を任せられているのですが、あまり上手くいっていないんです」彼女は落ち込む。「親族からは、主人のいないところで『草食のくせに役に立たない』とか言われるのですが、故郷で野菜ができないなんて聞いたことありませんし、そんな抱えたことのない問題の解決策なんて分かりません」聞けば、リス族たちも兎族同様に森の傍で暮しているらしい。「本で調べようにも、竜族は本をあまり読まないようで……あったとしても騎士が登場する英雄譚とか冒険記ばかりで……」彼女の言葉に同意するように、周りの番たちも頷く。「竜族は長命種だから、基本的に口伝なんですよね。でも、それなら何を口伝されたんだって聞くと、肉のさばき方とか鍛錬の方法ばかりで」「分かりますわ。衣食住に関わる、なんというか、こうハウツー本のような……」言葉に迷う彼女たちの話にサラリアが混じる。「実用書でしょうか」「それですわ!」「サラリア様のこの肥料の知識のように、生活の役に立つことが知りたいんですの」「育児書や教育の本も欲しいですわ」「分かります、このままでは騎士一直線ですもの」「ああ……児童書とか絵本とかがないから、職業をあまり知らなくて……」「私は医者の家系なのですが……」そう言ったのは、耳の感じからヤギ族のような女性だった。「風邪を引くのはなよっちいからって、鍛錬すれば風邪も治るって……喉が痛いという息子に素振り百回とかいう馬鹿ですの」そんなことよりも栄養を摂らせて、養生させたいという彼女に周りもサラリアも深く頷く。とにかく。「調理方法と野菜、ですわね」サラリアを含む女性たちの期待の目が、領地で野菜を作っているというリス族の女性に向かう。「肥料作りをぜひ試してください。人族ではよく知られた方法ですもの。地域や、何を作りたいかで埋めるゴミを変えたりしているようですわ」自分は試したことはないと前置いて、書物からの知識をサラリアは教える。「少し待っていてくださいませ」「サラリア様?」「持ってきた本に役立つものがあるかもしれません……領地に適した肥料を作る参考になればよいのですが」「ありがとう
「掘った穴に生ごみを入れます」ごみという言葉に幾人もが顔をしかめたので、サラリアは言葉を変える。「食材には、皮や骨などの食べられない部分があり、そういう部分は料理のときに『生ごみ』として捨てることになります」子どもたちはピンとこないようだが、母親たちの何人もが納得したように頷いている。先ほど竜族の料理を『美味しくない』と言っていた女性が多い。(自分で料理をすることもあると言っていたし、そういう人は忌避感が薄いみたいね)「今回はお城の厨房から出た生ごみを使います」お城と言うと、幾人もの子どもが目を輝かせた。.「お城だって」「お父様も食べたかな」「もしかしたら竜王様かも」幾人かがコソコソとお城の話をする。城に対する憧れと、王であるラーシュに対する敬意が感じられる。そしてその目は自然とトールに向けられる。憧れと崇拝。彼らにとってトールは子どもではなく、王なのだと感じらえる。「母様、ここにいれるの?」でも、サラリアにとってはただ一人の息子。神とか王とか、崇められる存在の孤独をサラリアは知っている。「量が多いので、お城の方々にやってもらいましょうね」「うん」サラリアは後ろにいた人たちに頭を下げる。城からきた侍従たちが、穴の上で木箱をひっくり返す。野菜の皮、魚の骨や内臓、肉の切れ端などがどんどん穴の底に溜まる。ゴミは、今日の朝の厨房で出たものを頼んでおいた。腐敗しておらず、臭いはしないことにサラリアは安堵する。子どもの野菜嫌いをどうにかしたいというのも、今回の目的の一つである。汚い・臭いは育てる上で問題なくても、食べると思うと距離を置いてしまうだろう。(美味しい野菜を食べてないからだと思うのよね)実際に、トールはこれまでは野菜をよく食べていた。だが、ドラコニアに来てからはよく残す。
「皆様」ラパンの軽やかな声が響く。「改めてご紹介いたします。こちらにいらっしゃるのがサラリア様です」女性たちの視線がサラリアに集まった。「今日はお集りくださってありがとうございます」サラリアの穏やかな声。ラパンの包み込むような優しい笑顔もあって、場を満たしていた緊張が薄れた。「サラリア様、今日はとても楽しみにしておりました」「ありがとうと言いたいのは私のほうです」「私もですわ。家から出られたのは本当に久し振りなので」竜人は番を自分の巣である家から出したがらない。竜人同士ならば、双方が同じように思っているので問題にならない。姫だったサラリアは閉じ込められる感覚に慣れていたので特殊。それ以外の番たちにとって、竜人たちの束縛は窮屈で息苦しいものだった。中には「久しぶりに外の空気を吸った」と泣いて喜んでいる番もいる。サラリアは竜人の執着心を初めて客観的に見た気がした。ちなみに、招かれているのは女性ばかりだった。男性の番もいるはずなのだが、ラパンによればオーレリウスが声をかけるのを嫌がったらしい。竜族の女性の恨みを買うのは嫌だったらしい。賢明だとサラリアは思った。.「外出したいと言うと不機嫌になるんです」「だったら一人で、というわけにはいきませんものね」羽のない種族にとって、浮島であるこの地は自由に行動できる場所ではない。「外出のときは旦那様に連れていってもらうしかありませんし」「おねだりも大変なのですよね」「それに、了承したあともずーっと文句を言ったりして」首を縦に振る動きがとても力強い。実感がこもっている。「それなのに、今回はあっさり」「うちもですわ」「サラリア様からの誘いだと言ったら、了承どころか行って来いとまで」竜族は上下関係がはっきりしている。
城から食事を運んでもらうようになって二日目の朝、サラリアはオーレリウスを呼んだ。そしてその日の夜から、サラリアとトールは食事のために城へ通うようになった。トールは、起きている時間のほとんどを食事に費やしている。行き来のことを考えるとずっと城にいたほうが効率的で、結局家には寝に帰るだけ。(城にはいるけれど……)ラーシュの姿を、見かけることすらない。城が広いこともあるが、オーレリウスが調整してくれているのだろう。この城の主であるラーシュの行動を制限してしまうことに申し訳なさはあったが、城で食事ができることはかなり助かっているので背に腹は代えられない。.「おはようございます」「ラパン様」ラパンが四人の子どもたちと一緒に部屋に入ってきた。続いて侍女たちによって大量の食事が運び込まれ、部屋の中は一気に賑やかになる。暴れ回るわけではない。ただ、ものすごいスピードで食事が用意され、片付けられている。サラリアとラパンは顔を見合わせ、苦笑する。(私だけだったら、つらかったわ……)最初はサラリアとトールは二人で食事をしていた。だが、食事量の圧倒的な差から、トールだけが食べている時間のほうが遥かに長かった。時間が経つと、一人で食べているのがつまらなくなったらしいトールに「母様も食べて」と強請られるようにもなった。一人前を食べたあとだ。しかも、その一人前はトールに合わせてサラリアにしては多め。だから、次からサラリアはゆっくりと食べることにした。しかし、時間をかけると料理は冷める。スープは冷めてもったりとしてくる。肉は冷めて硬くなる。魚にかかっていたソースの舌触りが悪くなる。唯一時間をかけて食べられるのは、サラダだけ。サラダを食べ続け……サラリアはオーレリウスに相談した。相談するほうも、相談されるほうも慣れはじめていた。
至近距離にラーシュの顔があった。長い睫毛。 白い肌。 冷たい美貌なのに藍色の瞳だけが熱を帯びている。気づけば見上げる形になったラーシュの顔を見ていた。視線がラーシュのものと絡まった途端、サラリアの背筋を痺れるような甘さが駆け上がった。腰の奥がじわりと熱を持ち、身体の芯が溶けていくようだった。「な、なに……?」自分の身体なのに、自分のものではないみたいだった。力が抜ける。息が苦しい。頬が熱い。怖いのに、逃げたいのに、ラーシュから目を逸ら
『こんばんは』その言葉と同時に、ふわりと夜風に乗って花のような香りが漂ってきた。甘いのに冷たく、澄んだ夜気の中へ静かに溶けていく香りだった。サラリアは息を呑んだ。欄干に一人の男が立っていたから。月を背にしたその姿はあまりにも現実離れしていた。漆黒の髪が風に揺れ、逆光だがかなり端正だと分かる顔立ち。長身の身体は騎士らしいのに妙にしなやかで、まるで夜を切り取って人間の形へ閉じ込めたようだった。月光が彼だけを照らしている―――そんな錯覚すら覚えるほど美しかった。人間ではない。
サラリアがラーシュと出会ったのは地上にある小さな国だった。豊かな水と肥沃な土に恵まれたその国は、一見すれば平和で穏やかな国に見えるが腐り切っていた。王は無能。貴族は私腹を肥やすだけ。王には正妃が一人、側妃が九人。さらに愛妾は数え切れないほどいて、結果的に子どももまた大量にいた。王子が八人、王女が十二人。サラリアは第十王女だった。·サラリアは女だけの後宮で育った。後宮のことを「花園」と呼ぶが、そんな呼び方は実態を知らぬ者が抱く幻想。人の手で整えられてこそ花園は美しい。管理されなくなった花園は地獄そのものだった。美しい衣装や豪奢な宝飾品を身に着けて笑う女の傍らで、多くの女
窓の外から金属が擦れる音が聞こえた瞬間、サラリアはベッドの上でぼんやりとしていた視線をゆっくりと持ち上げた。塔の外壁に沿って鎖が下ろされる音。重たい鉄が軋む音。人の気配。いつもは静寂しかないこの塔に生まれた僅かな騒がしさに、サラリアは反射的に窓辺へ歩み寄る。石造りの床は今日も冷たく、裸足の裏から熱を奪っていった。.小さな窓から身を乗り出すように下を見れば、塔の周囲に何人もの兵士たちが集まっているのが見えた。彼らの身につけた銀色の鎧が陽光を反射し、空を見れば竜の姿になった兵たちが空を旋回している。その厳重な警備はまるで凶悪な魔獣でも封じ込めているかのような物々しさだった。その